Hello! MANIA

ハロプロマニアのカズキです。

ハロヲタ遍歴:ASAYAN編

なかなか何から書き始めればいいのか悩ましいところなんですが、まずは自己紹介的にハロヲタ経歴を書いてみようと思います。

 

ツラツラととめどなく書いていきますのでお付き合いください。

 

 

初期(結成前)

まずはASAYANですね。

ブログ書くにあたって改めて調べてみると、1995年から2002年まで放送していたみたいです。我らがテレビ東京さんです。

82年生まれの僕なので、13歳から20歳まで。

まさに思春期ドンピシャ。

 

番組自体は、96年あたりからナインティナインがMCで、TK(小室哲哉)プロデュースのオーディションコーナー「コムロギャルソン」がメインになっていったと。

僕自身もこのあたりから完全に毎週日曜21時を楽しみに生きる人間になっておりました。

 

完全にASAYANヲタの時代です。

 

いくつか記憶に残っているオーディション及びアーティストを紹介しますね。

 

【コムロギャルソン】

dos:1996年〜1997年

これがコムロギャルソン一発目だったんじゃないかな。

今考えるとものすごい注目度だった気がします。

 

女性ボーカリストに男女のダンサーという3人構成。

女性ダンサーは小室さんの前妻。KEIKOの前ですね。

 

そして男性ダンサーは当時男性、いまや女性のカバちゃん。

男らしさでユニットを引き締めていた印象が、いつの間にやらだいぶ方向転換していて驚きました。

 

L☆IS:1996年8月デビュー〜10月解散

懐かしい笑

TMNの久保こーじ氏プロデュースのユニット。15人構成。

今でこそ大人数の女性グループって当たり前になってますが、この時代なかなか斬新だったことを覚えてます。

 

小室哲哉プロデュース楽曲をメドレーにしたデビュー曲「Running On」(作詞:小室哲哉前田たかひろ・MARC、作曲:小室哲哉、編曲:久保こーじ)がものすごく懐かしい。

 

そして若いメンバーの態度が原因で解散。。。

あっという間でした笑



Say a Little Prayer:1997年〜1999年

プロデューサーが誰であるかも注目ポイントの1つだったASAYANで、

小室哲哉に続いてプロデュースを担当したのが河村隆一

 

1997年はボーカリストとして活動していたLUNA SEAの活動休止に伴い、本名でソロ活動を開始した頃。

ヴィジュアル系のイメージとはかけ離れたさわやかな雰囲気で話題を集める中で、ASAYANに登場話題になりました。



オーディションで結成されたSay a Little Prayerは3人組ユニットで、なんだかすごく惹きつけられた記憶があります。

レコード会社との契約ノルマとして、インディーズ盤を10日間で1万枚完売することを課されていたわけですが、このCDを買うために渋谷のタワレコに足を運んだのが僕の人生初めての接触だったのかもしれません。

 

当時セキュリティなんてないようなもので、並んでる列から写ルンですでメンバー3人を写真に撮った記憶もあります。(探したら出てくるかな。)

 

当時反抗的な態度が印象的だった大櫛エリカさん。

後にマラソンタレント的な活動に移行していたのをテレビで見かけたなぁ。

 

ちなみにコムロギャルソンという名前以外でもいろんなオーディションがありました。

【男子高校生オーディション:時期不明】

相川寿里:パリコレモデル

当時は良くも悪くも高校生が世の中の中心でした。これ話逸れるのであまり書きませんが、

高校生を取り扱う媒体がたくさんありました。これもその流れに乗った企画だったんでしょうね。

モンキーパーティーという日本テレビ系列番組、雑誌では東京ストリートニュース!などなど。

もはやモンキーパーティーは検索しても全然出てこなかったですが、とにかく世の中は高校生が全てでした。

 

【CM美少女オーディション:1997年】

池脇千鶴

最近やや見かけなくなってきましたが、一時期は様々な映画に出演し、数多くの国内映画賞を受賞した今やベテラン女優。ASAYANで実施された「三井のリハウスリハウスガールがデビューのきっかけです。

 

【男性ボーカリストオーディション:1997年、1999年】

pool bit boys:1997年〜2001年

これまた懐かしい。accessとしても有名だった浅倉大介プロデュースです。

もはやまったくメロディーを思い出せませんが当時はカラオケで歌ってたと思います。

 

CHEMISTRY:1999年〜

言わずもがなですが。後にEXILEのカリスマボーカリストとなるATSUSHIが本名の佐藤篤志として参加、最終的にこちらもEXILEに加入するネスミスも一緒に最終候補者まで残っていたという伝説のオーディション。

プロデューサーは松尾潔氏。当時31歳だったんだなぁ。今の自分より年下とか思えないくらい、表に出る人ではないにも関わらず、すでにオーラというか大物感がすごかった。



【ボーカリストオーディション・ファイナル:1998年】

鈴木あみ:1998年〜

小室哲哉プロデュースの大ヒット。って言えるんじゃないかなー。

最終オーディションが電話投票審査だったんですよね。一般投票で。

しかも今色々見てたら80万票以上を集めて1位を獲得してデビュー決定したとのこと…。

当時ホントにASAYANの注目度が半端じゃなかったことがうかがえます。

デビュー翌年に発行された写真集「amigo」は高校の同級生も地元の友だちもみんながみんなホントに持っていたくらい、ものすごい勢いだったことを覚えてます。

後にモーニング娘。とシングル発売日が重なり、ASAYAN上でも煽られて。

鈴木あみは「BE TOGETHER」、モーニングは「ふるさと」ということで実質鈴木あみVS安倍なつみ的な構造でした。

結果は鈴木あみオリコン1位。我らがモーニングは5位でした。この頃のモーニングはなかなか1位取れませんでした。





とかとか書いていたらASAYAN回顧ブログになってました笑

 

一旦ここで区切らせていただいて、続編はまた次回ということで。

 

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